【27】転院・移送についての考察

移送については、今回も非常に面倒な紆余曲折がありました。

それでも、最初の入院に比べると、統合失調症の診断が下っていて入院中であることが決め手になっており、ハードルは低かったといえます。

わたし自身の経験値や精神力も上がっており、おおむね冷静にことを運べたと思います。

それでも医療保護入院の継続が確定しているにもかかわらず、患者を移送するというだけでこれだけ煩雑なやり取りをしなくてはならない現実があります。

もっとも、たとえばわたしが親族の助けなどを得て、母の両隣に座ってくれる人を2人確保できれば、すんなり移送できたのかもしれません。

しかし、母の隣に座ってくれるような人を見つけることはできませんでした。

親族はいずれも70代後半であり、同年代のいとこたちに頼むわけにもいきません。

友人なども考えましたが、責任を伴うような重大事項に巻き込むことによって、友情が壊れるリスクを冒したくありませんでした。

友人ではなく、大きな貸しのある人間が3人ほど頭に浮かびましたが、いずれもちょっと雰囲気というか、人間性に若干のクセがあり、母の隣に座らせてうまくいくとは想像できませんでした。

やはり、すべてを家族の側で対応するには、移送会社を使うのが今のところベストチョイスなのだと思います。

しかし、なぜそれを病院側が提案することがないのか、ということを思いました。

多数の事例を経験しているであろうことは想像に難くないのですが、ほとんど初めてのような右往左往っぷりです。

そのことはやり取りの最中にもソーシャルワーカーの方に確認しましたが、「毎回こんな感じになってしまうんです」とため息混じりに言っていました。

おそらく、責任問題と費用負担の問題が出てくるだろうから、と思います。

紹介した移送会社が問題を起こした場合、病院に責任が遡及されることを恐れているのでしょう。

また、今回いろいろと調べて改めてわかりましたが、転院時の移送にかぎらず、移送行為そのものについて病院が慎重な理由は他にもあるようです。

検索中に、かつて「24時間365日、いつでも患者を家まで迎えに行く」ということを謳い文句にして莫大な利益をあげていた病院があり、大きな問題になったことがある、という情報を目にしました。

かなり逸脱した行為が多数あり、患者の人権問題に発展し、大きな教訓として精神医療の現場に刻まれた事件のようです。

それ以来、多くの病院が患者の移送について極端に慎重な姿勢を取るようになり、ときに理不尽と思えるほどの非協力的姿勢になってしまったのだと思われます。

「病院は基本的に家まで迎えに行くということはしない」ということは、最初の入院時に相談に行った複数の精神科医にも何度も聞かされました。

さりとて、転院はまた別じゃないか、とも思いましたが、入院時の移送手段を持たない病院が、転院時の移送手段をも標準装備していない、ということは、ある意味自然なことかもしれません。姿勢の問題のみならず、機能の欠如という問題もあるようです。

「病棟から1人しか看護師を出せない」ということについては、マンパワーの問題であったのだろうと想像できます。

精神病院では、昼夜の勤務時間ごとに患者と看護師の比率が定められており、通常業務外の人数を出すのが難しいのでしょう。

おそらく、今回母の移送に対応してくれた看護師さんは、シフトから外れており、勤務時間外のサービス対応だったのではないかと思います。

わたしの母のケースでは、看護師に加えソーシャルワーカー2人の協力があって、かろうじて病院側の主導による移送が実現しました。

しかし、これが通常のフローであったかというと、違うでしょう。

担当のソーシャルワーカーの方がもう一人のソーシャルワーカーの方に、ほとんど個人的、臨時的にお願いして実現したことだったのだろうと思います。

今回のように、ソーシャルワーカーが中心になって、移送行為を実行するということは、異例のことと認識したほうがよいかもわかりません。

移送という問題は、組織間、職域間の境界領域の事案であり、定形の役割分担、フローというものがなく、都度都度、方法をひねり出さなくてはならない厄介事だということです。

そのような境界領域のできごとであるがゆえに、隙間産業として移送会社が活躍する現状になっているのでしょう。

患者家族にとってはありがたい限りですが、行政機関や病院は、自らが依拠する法や体制の未整備によって、そのような隙間産業が活躍の場を広げることを立場上促進することはできないのではないでしょうか。

そのために、具体的な会社名はおろか、そうした業態の会社が存在することさえ決して口にしてはならないという緘口令のようなものが、行政にも病院にもあるように思いました。

されど、そのように、各組織のあいだで責任やらメンツやらリスクやら…を腹に隠し持ったまま睨み合っているなかで、置き去りにされているのは家族であり、患者です。

膠着状態のなかで、相手が自らの守備範囲からはみ出してくれるのをじっと待っているような、我慢比べをしているような感覚がありました。

わたしの母のケースでは、転院を望んだのは病院の方でしたから、病院側のスタッフが、すなわちソーシャルワーカーの方々が、自らの職域を大きくはみ出して移送行為を実行してくれました。

おそらく、経営上の方針があり、上の方からなんとしても転院させろという圧力があったのだろうと思います。

ですが、転院を家族のほうが望んだ場合は、今のところ、移送会社を使うほかないのかもわかりません。

それが結論のような気もします。

ただし、これらは、わたしの経験による知見であり、もしかするとその限りでもないのかもしれません。

というのも…母を乗せたソーシャルワーカーの方の車が転院先の病院に近づいた時、病院の前に病院の名前が入った救急車が停まっているのが見えました。

それを見た担当のソーシャルワーカーが少し驚いたように、「この病院、救急車持ってるんだ…」と呟いたのです。

救急車を所有している病院は、少なくとも転院時の移送くらいはやってくれるのかもしれない、という推測は成り立ちます。あるいは、まったく別の用途で使うのかもしれません。そこは未確認です。

なお、これらの情報は、2016年5月時点のものです。

精神病患者の移送については、常に問題になっており、随時法改正がなされています。

また法律が変わると実態も変わるかもしれません。

しかし、患者の人権問題という大きな問題と常に表裏一体であり、改革は遅々として進まないですし、法が執行されたとしても、医療現場ですぐに態勢が整えられるとも思えません。

当分の間、患者家族が移送会社に頼らざるを得ない状況が続くのではないか、とわたしは思っています。

<<前頁  | 一覧 | 次頁>>